赤ちゃんが転ぶことについて

生後8ヶ月のレックスはハイハイをして移動する。ある日、レックスは15センチほどの高さがある台の上に初めて登った後、そこから降りようとした。しかし、床に片手を伸ばし、もう一方の手も伸ばして両手を床につけた体勢になった後、レックスはそこからどう先に進むことができるのか分からなくなった。体が前方に傾いていつもと異なる体勢の中、ハイハイする時のように片手を持ち上げて前へ進もうとすると体のバランスが崩れて転んでしまう。さあ、どうしよう、、、 体のバランス感覚を身につける過程では、時にバランスを崩す体験も必要なものです。自転車に乗れるようになるまでのプロセスを思い出してみてください。練習中にバランスを崩して何度も転びそうになった経験をした人は大勢いると思います。赤ちゃんが自分自身の体のバランス感覚を身につけ、自分の足で歩けるようになるまでのプロセスも基本は同じで、バランスを崩して転ぶ経験を一度もしないまま、座ったり、立ったり、歩いたりすることを学べる赤ちゃんはいません。ところがどういうわけか現代を生きる私たち大人は、赤ちゃんが転ぶということを自然に受け止めることが難しいようで、赤ちゃんが転んで痛い思いをしないように、怪我をしないようにということに神経を注ぎがちです。赤ちゃんが歩くことを身につけるまでのプロセスの中で、時にバランスを崩して転ぶことも必要なこととして受け入れることができたら、私たち大人も少し気持ちに余裕ができるのではないでしょうか。 さて、それでは実際に赤ちゃんが転んだ時、私たち大人がその子のためにできることは何でしょう。その子はびっくりしたり、驚いたりするかもしれません。小さなたんこぶができたり、唇から血が出たりするかもしれません。転んだ時に怪我をして痛みを感じたからではなく、びっくりしたが故に泣くかもしれません。その時、その子が抱っこして欲しがっていると決めつけてすぐに抱き上げる代わりに、その子のそばに行って、そっと穏やかな口調で自分が見たことを伝えてあげてください。「転んだのね。びっくりしたね。」そんなふうに見たことを伝え、その子の側にいてあげてください。そうすると赤ちゃんはしばらく泣いた後、自ら体勢を整えて再び自由に動き始めるでしょう。もしくは赤ちゃん自身が抱っこしてほしいと感じた場合、赤ちゃんはそれを自らあなたに知らせてくれるでしょう。 私たちが彼らの動きを(良かれと思って)助けるのを控えると、赤ちゃんは自らの動作に自分で注意を払う必要があることを学びます。赤ちゃんや幼児は動くことが大好きで、動いたり登ったりする中で自分の体のその時点での限界と能力を知ります。そして転んでもそれに挫けずに根気強く挑戦し続けます。動き方を学びながら、転んだ時には自然に手を前に伸ばして顔を守ることも学びます。逆に、赤ちゃんが転ばないようにと私たちが先回りして動くと、赤ちゃんは転ぶ前に誰かに受け止めてもらい、自分の安全を誰か他の人に確保してもらうということをすぐに覚えます。そうすると皮肉なことに、赤ちゃんは自分がどのように、どこに向かって動いているかに気持ちを集中する習慣がつかないので、最終的に身の安全性が低くなってしまいます。これは誤った印象を持たれるかもしれないので付け加えますが、赤ちゃんが動き回ることに関して私たちは無関心でいるべきという意味ではありません。赤ちゃんがバランスを崩して転んだとき、本当に大きな怪我にはつながらないような環境を整えておくことも重要です。そして赤ちゃんが動き回っている時、その子がバランスを保つことに集中し続けられるよう、私たちはできるだけ邪魔にならないように静かに、でも関心を持って赤ちゃんを観察することが大切です。そして、赤ちゃんが何かを必要とするときはそれを彼ら自身が教えてくれると信じ、赤ちゃんの合図を待つのです。 (*ピクラー親子教室では、子どもが自由に動き遊べる場所を提供するだけでなく、子どもが何を必要としているかを大人が学ぶことができます。ご興味のある方は info@flowparenting.jp までご連絡ください。)
敬意ある子育て≠受け身な子育て

子育てや保育において最も誤解されやすく、そして最も重要なことの一つは、敬意を持って子どもに向き合うということです。 「敬意」とは相手を尊重する態度を示す言葉で、言葉遣いや行動などに現れます。 「敬意ある子育て」という意識自体がまだあまりなかった一昔前は、厳格で懲罰的な躾や共感のない子育てが一般的でした。子育ての一環として、親のいう事を聞かない子どもには罰や恐怖心などを与えて子どもをコントロールし、どのように行動し振る舞うべきかを教える必要があると考えられていました。そして、子どもが親に敬意を持つことが当たり前に求められていました。このような子育ては現代では以前ほど一般的で顕著なものではないようですが、今も確実に存在している子育てのあり方です。 一方、現代によく見る子育ての在り方として、子どもとの衝突を避けるために何でもするという親がいます。まだ幼い子どもに優しくためらいがちな口調で「これでいい?」と尋ね、曖昧な制限を設けようとします。子どもと「うまくやっていく」、そして子どもには常に楽しく幸せな気持ちでいてほしいという思いから、その状態をできる限り維持しようとします。その時、常に思いやりを持って優しく、平和的な態度で子どもに接し、子どもと穏やかな関係であることが、子どもに敬意を持った子育てと混同されがちです。子どもと衝突することは親として恥ずべきことであったり良くないことと捉え、子どもに「それはしてはいけない」と伝えるべき状況でそう言うことをためらいます。子どもの希望に反することをすると、子どもからの愛情や信頼を失うのではないかという不安もあるかもしれません。 でも、幼い子どもはその成長過程において自分の意志を表現することも必要とします。子どもの中で成長しつつある意志を表現していくことは健全なことで、いろんなことを自分でやりたがったり、親の望むことに抵抗したりもします。そういう時、「うまくやっていく」ために親があやふやな態度で子どもに対応したり選択肢を与えすぎたりすると、子どもは境界線を感じられないまま、甘やかされた子どもに育ちます。子どもに「No」と伝えることが必要なときに、誠実に「 No」と伝えないままやり過ごしているうちに、子どもは要求したり、泣いたり、泣き言を言ったりすることが増えてきます。親としては、自分はこんなに子どもに愛情を注いで優しく、子どもの自主性を尊重しているのに、どうして親を困らせたり怒らせたりするようなことばかりするのだろうと困惑するでしょう。 一方、大人に健全な境界線を与えられて育つ子どもは、自分の思い通りに物事が進まなかったりした時、その状況に健全に対処して回復する力を育んでいきます。 小さな子どもを一人の人間として尊重し、彼らに自ずから成長する力があることを信頼し、彼らの自由な動きや遊びに介入しないこと。それはピクラーアプローチで推奨されていることですが、それは決して彼らに対して受動的で消極的であることと同じではないのです。一人ひとりの子どもを観察し、理解する−その行為は、側から見ると積極的に子どもと関わる大人の姿には見えないかもしれません。しかし、子どもを観察し理解しようとすることは、その子どもへの積極的な関心がないとできることではありません。観察から子どもへの理解を深めたあかつきには、それぞれの子どもの成長過程に合った対応ができるようになり、その子に必要な境界線を与えることもできるようになります。そしてそれによって子どもは安心感を感じながら成長していくことができるのです。(想像してみてください。自分の知らない世界で、どこまで行っても壁や塀のようなものがなく限界のない空間に放り出されていたら、大人だって不安になりますよね)
クオリティータイム

クオリティータイムという言葉を聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。多くの親は子どもと過ごす質の高い時間、密接な時間を求め、自分と子どもが一緒に過ごす時間を作っていないことに罪悪感を抱くことも多々あるようです。 ところでどんなことが「クオリティータイム」に当てはまるでしょうか。一緒に遊ぶ、絵本を読む、動物園や遊園地に行く、、、そうした時間は子どもにとってもちろん嬉しい時間だと思いますが、まだ幼い子どもを持つ親にとってそれらよりももっと自然に、一日に何度もクオリティータイムを子どもと過ごすことができるとしたらどうでしょう? 赤ちゃん、もしくはまだ幼い子どもを育てる親にとって、おむつ替えをすること、ミルクをあげたり食事を与えたりすること、沐浴をして着替えさせることはまさしく日常です。特におむつ替えや授乳は一日の中で何度も繰り返される行為です。子どもは一生のうちに何回おむつ替えを経験するか、考えてみてください。その回数は約5000回から6000回といわれています。おむつ替えや授乳といったお世話の時間は、それこそ一日の中で頻繁に愛着を育み、自然な流れの中で質の高い親密な時間を過ごすことができる機会なのです。 「でもうちの子どもはおむつ替えを嫌がるから、おむつを替えること自体が大変」「食事のときは食べさせるだけでも一苦労で、クオリティータイムにするなんて無理、、、」― そう思われる方もおられることと思います。そういう時、ピクラーアプローチではどんなふうにお世話の時間を過ごし、子どもに向き合っているのかを知ることで、きっとヒントが見つかるでしょう。 また、おむつ替えや授乳といったお世話の時間に子どもたちが経験することは、累積的にその子どもの内的成長に影響を及ぼします。おむつを交換する間、そのお世話をしてくれているあなたとのコンタクトを通して、赤ちゃんは自分自身について様々なことを感じ学んでいます。それらは表面的にすぐには分かりづらいことかもしれませんが、時間の経過の中で、その経験の積み重ねは良い意味でも悪い意味でも彼らの内的成長に影響を及ぼしています。 毎日何気なく繰り返される赤ちゃんのお世話の時間。その時間こそがクオリティータイムだと意識してみると、日々の育児に何か素敵な変化が起こるかもしれません。お世話の時間を通して一日に何度でも、親と子どもが楽しく、心満たされる時間を過ごせますように。
なぜ遊びは大切なの?

遊びの時間は赤ちゃんが自ずから探索し、自発的に活動するための時間です。大人のあなたが遊ぶ相手をしてあげたり、テレビやコンピューターのような刺激の強いおもちゃで楽しませるための時間ではありません。もしそうだとしたら、子どもは内なる好奇心の糸をすぐに失ってしまいます。 大人がしてあげられることは、赤ちゃんにとって身体的にも知覚的にも挑戦しがいのある環境を作ることです。そうすることで、赤ちゃんは大人を必要とし、大人に何かをしてもらわなくても、自分で世界を探索し発見することができるようになります。 一方、多少の挑戦はあった方がいいですが、それが赤ちゃんにとって不可能なものであったり難しすぎると、赤ちゃんが遊びの中に深く入り込むことが逆に難しくなります。赤ちゃんが自発的に遊べるよう、何をどのように準備し環境を整えてあげるたら良いのか。それを知るためにはまず、赤ちゃんを観察することです。赤ちゃんの動きや遊びを観察することで彼らへの理解が深まると同時に、彼らが粘り強く自分で問題を解決していく姿を見るのはとても興味深いものです。 遊びを中断されることなく、遊ぶ時間と空間を与えられた子どもたちは、小学校にあがってから様々なことを学ぶ上で役立つスキルを身につけます。例えば好奇心、自分自身と他者に対する自信と信頼、集中力、注意力、協調性、そしてバランス感覚です。もちろん、これらのスキルは子どもたちが成長していく中でさらに発達していくものですが、その基盤は生後数年間で築かれます。子どもたちが好奇心旺盛に、世界について探究し学ぶことが楽しいと感じながら学校に通えるとしたら、どんなに素敵なことでしょう。 赤ちゃんや小さな子どもたちにとって、遊びは単に時間をつぶすためのエンターテイメントやお楽しみではありません。彼らが遊んでいる時、彼らは無意味に物をいじっているのではなく、遊びを通して学び方を学んでいるのです。
自分で座っている?それとも座らされている?―赤ちゃんが‘座る’ということ

お座りができるようになることは、赤ちゃんの成長において重要な節目。お座りができるようになるとそれまでより視界がグッと広まって、世界が広がります。そして、座ることは成長過程の中でその子が発達していることを示す大きな目安である中、多くの親は赤ちゃんに早くお座りできるようになってほしいと願い、赤ちゃんが早くお座りの体勢になれるよう力を注ぎます。例えばバンボのようなお座り補助具を使って、赤ちゃんが座った状態でいられるようにしようとするのもその一つでしょう。でも、長い目で見たとき、赤ちゃんのお座りは大人が教えたり補助したりするのではなく、自然な発達の流れの中で赤ちゃんが自分で身につけていく方が、その子どもの心身の発達において賢明なのです。その理由は以下のとおりです。 まず、お座りは私たちが想像する以上に複雑な体の動きを必要とするスキルです。頭の位置、背骨のカーブ、胴体の筋肉の張り、骨盤と脚の位置などがうまく連動して、お互いのバランスを保つ必要があるのです。また、それがうまくいかずに赤ちゃんが転倒した場合、赤ちゃんが頭を強く打って転ばないように反射的に腕を動かす必要もあります。大げさな話に聞こえるかもしれませんが、その子がもう少し大きくなって立った状態から転んだ時に、自分の怪我を最小限に抑えるために反射的に腕を動かしたりして上手に転べるかどうかというのも、この赤ちゃんの時期から自分の身体で学び覚えたスキルが影響しているのです。 そして、赤ちゃんが自分で座ることを学ぶ過程において、仰向けの状態から寝返りをうってうつ伏せの姿勢になるプロセスも大切な役割を果たしています。それらの動きを通して赤ちゃんの脳内で運動情報が調整され、自分で座るという動作に必要な筋肉を発達させるからです。 うつ伏せの姿勢は背中の筋肉を鍛えます。そしてその鍛えられた背中の筋肉は、頭を持ち上げたときに頭を支えてまっすぐに保つために役立ちます。また、肘をつくことで肩甲帯(上腕、肩甲骨、鎖骨、胸骨、肋骨周辺)が鍛えられます。この肩甲帯は、のちに転倒したときに体を受け止めたり、ハイハイの姿勢になる際に腕を使って体を押し上げたりするのに必要になります。そのため、赤ちゃんがうつ伏せの姿勢で様々な動きに励み身につける姿勢は、後にお座りやハイハイを自分の力で習得していく過程で赤ちゃんが経験する困難さに影響するのです。 また、寝返りを打ちながら自在に仰向けやうつ伏せの姿勢になることは、腹筋と背筋、そして背中の横の筋肉を鍛えて背骨を安定させます。寝返りを打てるようになると赤ちゃんは簡単に横向きの姿勢になることができ、そこから体を起こしてお座りの姿勢ができるようになるまではあとほんの一歩です。 自分で座ることを習得した赤ちゃんは、背骨がC字カーブ(猫背)ではなくS字のカーブを描いて、背筋が伸びています。そしてその座った姿勢から自在に体勢を変えて、自発的に取りたいおもちゃを取りに行き、またお座りの姿勢に戻ってそのおもちゃで遊び始めることができます。一方で“座らされている”赤ちゃんは前後左右に転倒することはあっても、自在に体勢を変えることができません。そのため視界に手にとってみたいおもちゃが見えても、自分で取りに行くことができません。おもちゃを手にするにも誰かに頼らざるおえない赤ちゃんは、次第に他者に何かをしてもらうことを覚えます。 赤ちゃんが自ずから‘座る’ことを身につける過程は、体の発達のみではなく、心の発達にも大きな影響を及ぼしているのです。
レムニスケート

幼い子どもが必要とするものは2つある。親や保育者との絆を深める時間と、一人になる時間だ。 授乳、沐浴、着替えなど丁寧なお世話の時間は、子どもにとって大人との時間を一緒に楽しみ、お互いに一人の人間として敬意と関心を持って向き合うことを可能にし、子どもの幸福感と安心感を高める。 親、そして保育者に対するこうした安心感や充足感は、子どもが思いつく様々な動作にも自ら挑戦する自尊心を与え、一人になる機会が与えられると子どもは自分のペースで運動能力を伸ばしていく。この自律的な遊びは、心身のバランス感覚を養う。 この2つの側面(一緒にいる時間と一人でいる時間)は、レムニスケートで表されるように、微妙な相互作用を形成する。親そして保育者のケアは、子どもに内面化された温かい感情を生み出す。これが子どもに自信、回復力、生きる喜びを与え、子どもの活動や行動に表れる。 そしてこの相互作用は、子どもの将来に確かな基礎を築く。 レムニスケートのもうひとつの側面は、親(そして保育者)と子の関係である。この無限の関係は相互の絶え間ない心理的影響の上に成り立つ。親そして保育者は幼い子どもの日常生活の主な世話人であるため、子どもと同様にお世話をする側の大人の幸福感や充足感も重要な要素なのだ。